心のすく
明恵上人歌集
鳥獣戯画で有名な京都の世界遺産、栂尾山高山寺を開山した明恵上人の和歌の一つにこのようなユニークなものがある。
あかあかやは「明るくて赤い」を意味し、たった今昇ってきた赤く明るい月の、その尽きることのない光を、ただ無心に詠ったものとされている。
京都に住んでいたころ、高山寺を訪れた折に明恵上人に興味を持ち、その後調べる過程でこの和歌に出会った。
初めは「なんじゃこれ」という印象だった。しかし、以下の談話を読むと何となくその意図するところが見えてくる。
却廃忘記
上手く歌を詠んだり、規定の型にとらわれたりすることなく、自由に、心から自ずと出てきた言葉を「ただ何となく詠み散らす」ことを良しとしていた。あかあかや。。。はその思想を如実に表した和歌として、明恵上人の数ある和歌のうち最も有名なものなのだそうだ。
たいそうパンクな教えだが、しかしなるほど、ある意味ものの本質をとらえているのかもしれない。僕は信仰心の無い人間だが、この教えはとても好きだ。
ここ最近、瑞牆で見つけたボルダーエリアの開拓をしていた。
瑞牆に通うのは久しぶりだが、やはりこの山はいい。
誰もいないエリアで、気になったラインに取り組んでいると、天鳥岩や大面岩下のエリアを開拓していた頃を思い出す。
エリアの最奥、簡単なルンゼチムニーを登った先に見事なハングが一つある。
ハングの真ん中には顕著なスタートホールドと、外傾したホールドがリップまで並んでいる。適度な高さと、フラットな砂地、硬い岩、掃除はほとんど必要なかった。
手を付けるのも勿体ないような気がしたが、いざトライし始めるとそんなことはすぐに忘れて登ることに没頭し始めた。
一手一手解決するたびに、このラインに対する感動を抱くとともに、もっと先が見たくなる。早く登りたいが、登ってしまうのも勿体ない。
見た目も内容も申し分ない。一つ惜しむらくは、もっと難しければ、より長くこの課題に触れていられたのに。そんなことを考えていた。
至上の時間は約1時間で終わり、岩の上に立った。
この課題はここ最近初登した課題のうちの一本に過ぎない。しかし、この課題を掃除し、トライしていたほんの1時間半程度の時間は、僕にとってとても意義深いものだった。
いつも自分にとってのクライミングの在り方を思い出させてくれるのは、こういった「岩」なのだ。
遣心集
どうしても枝葉末節にとらわれてクライミングのすばらしさを忘れてしまう僕は、いつもこれらの談話にハッとさせられる。
どんなスタイルだとか、どんなグレードだとか
しかし、岩を前にして自ずと心から発せられるものこそが、僕にとってのクライミングの姿なのだ。少なくとも僕はそうありたい。